築80年の古民家、最初の建て主は獣医さんだったそうです。その獣医さんは、ここに家と診療所を構えていたそうです。獣医と言っても今のようなペット専門ではなく、馬や牛、などの家畜専門だったそうです。獣医さんの奥さんだったのでしょうか、後年はおばあちゃんが一人で住んでいたそうです。
その獣医さんは随分お金をかけて家を造ったようで、鹿児島の人で、ちょっと建物に興味がある人なら一目で分かるようですが、「分限者(金持ち・財産家)どん」の家の造りをしています。建設当時、木の板は大変高価な建材で贅沢に使うことは難しい材料でした。その為、築100年前後の家は土壁に漆喰塗りの仕上げが一般的です。しかし、分限者どんは、構造材も贅沢に、仕上げも贅沢に、ということで、一見すると板目が目について、古民家というよりかはログハウスかな?という印象の室内仕上げになっています。それがまた素敵なのです。
分限者どんの家の特徴としてもう一つ、屋根の切り妻に「懸魚」が掲げられている場合が多いということがあります。懸魚についてはこちらをどうぞ「懸魚の由来と形態」
そうそう、神社やお寺に良く着けられている飾りです。もともとは火除けのお守りに魚型の飾りをさげていたそうですが、だんだん抽象化して今のような様式になったのでしょう。山のツバルの懸魚は遠慮がちで素朴な印象が良いですね。
その他にも、面白い特徴があります。母屋の玄関の上部に注目してみてください。ここにも神社やお寺で見る意匠が施されていますね!真ん中にあるのは蟇股(蛙股)、両脇で屋根の軒を支えているのが斗供といわれる意匠です。蟇股はその昔「束」と呼ばれる構造材に由来する部材ですが、工法の進化と共に装飾部材となりました。斗供も同様に現在では装飾の意味合いが強いですが、奈良の東大寺の大仏殿などに見られる屋根を大きく張り出すための構造材として用いられたのが本来の用途です。
なぜ、このような神社仏閣の装飾が付けられたのでしょうか?理由はいくつも考えられるのですが、動物の命を預かる病院だったので、このような飾りを施したのではないかと僕は勝手に考えています。すでに診療所にしていた小屋は取り壊されているので、どのような建物で診療を行っていたのかは分かりませんが、敷地北側に広がる200坪ほどの庭に、馬や牛を繋ぎ、面倒見ながら治療をしていた様子を想像すると、一風変わった建物の造りや配置にも納得がいくのです。
11月でも太陽の光がたっぷりと差し込んでくる北側の庭。今後ここは地産地消と自給自足の試みを行う重要な庭になります。