母屋の東側より激しく痛んでいたのが囲炉裏間の屋根です。特に米倉との取り合いの部分は柱の陥没に伴う梁の落ちや、シロアリが侵入した痕もあって、工事は難航しそうです。その場所の工事に取りかかる前に、傾いて今にも崩れそうな米倉部分を解体しました。
写真向かって左が米倉、一階は土間で、五右衛門風呂と釜戸がおかれていました。二階が米倉になっています。右側の母屋との間にある低い屋根の部分が囲炉裏の間。米倉と囲炉裏の間の間の柱が20cmも陥没してしまっていました。まず、米倉を解体して、それから囲炉裏間の再生を行うことになりました。
米倉として使っていたとは思えないほどの華奢でいい加減な造りの小屋の解体は以外と手間がかかりました。古材を再利用したかったので、構造材も上から順に外していきたかったのですが、瓦をおろし、壁のペラペラの杉板を外したところで、すでに建物はフラフラの状態。錆びきった釘も簡単に抜けることもなく、材料を後々の加工に問題がないように取り出すことも困難を極めました。ん〜これ以上建物の上に人を上げるのは危険!ということで、一気に引っ張って取り壊すことになりました。しかし、フラフラの建物なのですが、その柔構造のおかげで、引っ張ってもなかなか倒れず、この工事の監督をしてくださっている西田さん自ら小型のパワーショベルを駆使して、苦労して解体しました。
小さい小屋でも崩れ落ちる時は大迫力! ガッシャーンという響きと共に柱が倒れ、屋根が落っこちました。屋根を取り除いて、解体で出た沢山の古材を整理していくと、ようやく、囲炉裏間の切り妻が姿を現しました。その昔は、もしかしたらこの切り妻の下の空間が建物の出入り口だったのかもしれません。
解体工事にほぼ一日かかってしまいましたが。これで囲炉裏間の工事と、米倉の再生工事を進めることができるようになりました。