米倉から管理棟へ

2010年3月29日 里山では山桜が満開になりました。いよいよ米倉部分の建て方工事が始まりました。ずっと天気が悪く、大工さんは自分の工場で柱や梁の仕口の制作をしてこの日に備えていました。面積にしてたった6坪、中二階があるだけの小さい建物ですが、その材料のボリュームたるや! 立派な材が積み上げられているのを見ると、改めて木造の力強い迫力を感じます。

これだけの材料を揃えれば、そうとうしっかりとした建物ができます。この土地にがつんとくさびを打って、母屋と囲炉裏間の傾きなどをしっかり受け止めることができます。そして中2階には研修施設の管理部屋兼、仕事部屋ができます。ボロボロだった米倉は、台風の時でもビクともしない頑丈な管理棟に生まれ変わります。

管理棟の一階は、母屋や囲炉裏間に合わせて、真壁で仕上げます。真壁というのは壁の仕上げ面が構造材の柱・梁よりも内側にある仕上げ方で、構造材が仕上げ表面に露出するので、材料の選定、建て方にも気を配らないと行けない手間のかかる工法です。対して、大壁工法は柱・梁を仕上げの壁で隠してしまう方法です。

施工側としては真壁工法は手間がかかるので、なるべくなら大壁を選択したいところだと思いますが、日本の伝統家屋はすべて真壁工法なので、仕上げに伝統的なニュアンスを残したい場合は、やっぱり真壁で・・・となるわけです。仕事部屋になる2階は大壁、ただし、屋根の登り梁は露出することにしたので、梁材は仕上げを兼ねるため、良い材料を使ってくださっています。

こんな大きなクレーンが敷地に入るとは思っていませんでしたが・・・プロはすごいですね。昔、設計を仕事にしていた頃にはこの「建て方」という作業は一大イベントでした。イメージしていた形や空間が目の前で組み上がっていく瞬間です。それこそ建築家としては鳥肌が立つ光景です。しかも、今回はなんとこともあろうか、その場にいて信じられなかったのですが、自分の家の建て方です。ん〜・・・夢が実現する時はさらに夢のようだな〜

十数年ぶりにヘルメットを被って、建て方に参加しました。自分の家を自分で建てる。ちょっとだけその作業に参加させて貰えて、これ以上嬉しいことはありませんでした。大工さんの手際の良い作業で、一日で屋根の登り梁まで組み上げが終了しました。ちなみに、この部分の屋根は長さが6mになる片流れの屋根で設計しています。将来太陽電池パネルを載せるために大きな屋根面積が必要だったからです。内部では中二階にちょっとしたロフトスペースを設けることもでき、また、外観上も、母屋と囲炉裏間と管理棟の3つのボリュームが良いリズムを作り出していると思います。

昔の米倉の部分に、真新しい構造体がしっかりと立ち上がりました。高さも母屋の屋根を越えないように低く抑えたのが成功して、良いバランスになっていると思います。昔々のことですが、設計やってて良かったな〜と、しみじみ感じました。人生には無駄が一切ありませんね。

この工事の時に、ふとしたはずみで筆で丁寧に書かれた文字を見つけました。まるで、つい最近書かれたかのように見えるしっかりとして優雅な筆跡は「昭和一二・三・七 起工 木梚 水ノ窪」と読むことができます。大工さんも監督をしてくださっている西田さんもこの板を見つけていなかったので、一同ビックリ!昭和12年というと西暦1937年、73年の時を経て、建物が生まれ変わるのです。この筆は玄関の幕板に書かれていたので、玄関を造った時に記された物だと思います。

西田さん曰く「今回の再生工事を始めたのも3月7日でしたね〜、やっぱりなにか縁を感じますよね〜」とひとしきり感激されていました。人生に無駄なことなし、そして、すべては縁が取り持ってくれています。